ドイツの社会学者のテンニースが提唱した表題の概念を、大学の授業で聞いたときは「ゲゼルシャフト」がどういうものかよく分かりませんでした。
というのも1980年頃は、日本の会社組織にはまだゲマインシャフト的な要素がいっぱい残っていることが多かったように思います。特に地方都市ではそうだったように思います。従って会社組織を典型とする「ゲゼルシャフト」を、具体的にイメージするのが難しかったのだと思います。
その後1980年代前半より、日本も新自由主義的な政策が取り入れられ始め、1990年代後半の金融危機や金融ビッグバンにより金融資本主義が加速し、近年はひたすら自己の経済合理性だけを追求する会社組織等が増えて、「ゲゼルシャフト」がどういうものかが容易に理解できるようになりました。
先日、朝の情報番組でドイツ経済について取り上げていました。ドイツでは会社は株主、従業員、地域社会、取引先等のそれぞれのためのものとの認識があるそうです。日本と共通するものを感じます。フランスも同じような認識との発言もありました。
弁護士で番組コメンテーターの方がおっしゃったことは、「(戦後の)日本の法律は、会社は株主のものと考える英米法を元に作られている」のような趣旨の発言でした。
日本版金融ビックバン以降急激に改革が進んだ金融制度には、英米法の影響が特に強いのではないかと思います。
1990年代末頃より感じる生きづらさの根幹には、人々の中に深く根付いた認識や価値観と法律の基本的な考え方との間のギャップにあるのではないかと思いました。
いつの間にか、核家族化が進み、地域コミュニティーも衰退し、「ゲマインシャフト」的な共同体が減って、ひょっとしたら今の学生の皆さんには「ゲマインシャフト」を具体的にイメージしづらくなっているのかもしれませんね。
ここ45年の間に世の中が随分と変わってしまいました。後世の社会学者は戦後80年の前半と後半の変化をどう位置付け、どう分析、評価するのでしょうか? 今から40年後に一般向けに書かれる論文が気になります。