「時間泥棒」というとミヒャエル・エンデの「モモ」を思い浮かべる方が多いと思います。1990年代の後半に本物の新自由主義が日本にも広がり始めてからは、強欲資本主義という時間泥棒への対応に忙殺され、自分の時間を無くしてしまった労働者が増えてしまったようです。
ITの進化で勤務時間外や職場以外での仕事も容易になって、余程用心しないと仕事は際限なく増えてしまう時代になってしまいました。
約2か月前、羽田へ向かうモノレールの中で(通勤時間帯で混んでいました)、私の視野の中に20代女性のスマホのトップ画面があり、未読の赤字が目につきました。Eメールの未読240件超、Lineの未読420件超、Gmailの未読20件超。
私の処理能力をはるかに超えるような未読数なので、大丈夫かなと心配になります。
現代人はスマホ対応に膨大な時間を費やし、対応することで更に対応が必要となる無限ループに陥っているのではないでしょうか?「スマホ」も新たな「時間泥棒」でしょうか?
新しい情報には中毒性がありますので厄介です。プライベートでも嵌ってしまいます。企業の中にはその中毒性をビジネスに巧妙に組み込んでいる先もあるのでまた厄介です。
そう考えると「時間泥棒」は「スマホ」そのものというよりもスマホを出来るだけ多く利用させて稼いでいる人たちでしょうか?それともプラットフォーマーとしてのスマホ事業者という元締めでしょうか?
どうやら複数の時間泥脳がいる時代に私たちは生きているようです。現役世代は日々益々忙しくなるばかりで、じっくり思考を巡らす豊かな時間が無くなってしまったようです。
せめて1日のうち数時間はスマホを全く見ない時間を作りたいものです。モモが近くにいない私たちは自らの意志で時間を取り戻すしかありません。そう言えば、昔はテレビを観る時間を制限されたものですが、すっかり様変わりしました。